痛快! 朝日新聞記者・松井やよりさんの生涯 <後編>

2007.01.18 Thu

前回の記事アップから、一週間ほど過ぎてしまいました。
大寒って、20日でしたっけ。
どおりで寒いわけです。
皆さまも風邪などひかれないよう、ご自愛いただければと思います。

なんでも我が国の掃除大臣・安倍ちゃんは、【全都立高校でボランティアを義務付ける】らしいですね。
そうやってボランティアとかなんとかいいつつ、お国の為に身を削ってくれる人材作りをはじめるのでしょうね。
ボランティアという名の兵役、なんてことにいずれなるように思います。
もう、「本来ボランティアというのは、自らの意思で・・・」なんて言うのもアフォらしくなるほど、安倍ちゃんってばやってくれてます。
こりゃ、支持率が下がるのも当然でしょう。

そして今日、こんなブログを見つけました。
高校生が経済ニュースを読み解くblog
とても読みごたえがあり、読者の皆さまにおかれましては、ご一読をお勧めします。

それでは本題です。

前回の<中編>で、朝日新聞記者の故松井やよりさんがアメリカのウーマンリブに触発されたことにふれました。
それが松井やよりさんの記事執筆のみならず、人生の大転換につながったようです。
それまで、男性に負けない記者であろうとした彼女が、「堂々と女性の視点で書こうと決心した」のです。
結婚したら女性は専業主婦になるのがあたりまえだった時代に、男性中心社会の「構造そのものを変えなければいけない」と考えたのです。

新聞記者であることに加え、社会運動家としての松井やよりさんの誕生だったのです。

やよりさんの眼は、ことにアジアの女性に向けられました。
買春、小さな村で搾取される女性、日本企業が大規模な開発を行っているすぐそばで、その恩恵を受けることなく貧しく暮らす女性たち。
暖かい視線は、新聞に、ミニコミに、本に書き綴られました。

愛と怒り 闘う勇気(岩波書店刊)の終わりの方に、三つのメッセージが書いてあります。
ひとつめは、経済的自立です。
男性に人生を託す専業主婦は、21世紀の女性にとって、あまりにも後ろ向きではないかと投げかけています。

ふたつめは、精神的自立です。
何が自分にとっていちばん価値があるのか、改めて自分に問うてほしい、とあります。
生きる目標や夢を持てる社会に、希望があるのだと。
自分の人生を人任せにしては、こんなふうに目標や夢を持つことは難しいと私JesusMaryは思います。
自分の人生は自分で作り出すもの、そう思います。

みっつめは、性的自立です。
単純に割り切れる問題ではないからこそ、自分自身の尊厳を大切にしていく性的自己決定権を身につける努力が必要、とあります。
私JesusMaryは、相手をつなぎとめておくための道具としてのセックスは、むなしいだけだと思うのです。
そうしたことを明確に打ち出した松井やよりさんの功績は、あまりに大きいと思います。

かつてのウーマンリブは、ブラジャーはしないとか、化粧なんて男性に媚を売るためのものだとされていたようです。
けれども私JesusMaryは、そうは思いません。
お化粧をしたければしたらいいのです。
着ることを楽しみたかったら、どんどん楽しんだらいいと思います。
そんなことで女性という性が貶められるわけではないのです。
生き生きと、楽しみながら、女性であることを嬉しく感じたいと思うのです。
女性問題は、女性だけの問題ではないのです。
男性にとっても切実な問題であり、つまりは「人間の問題」なのです。
私JesusMaryは、強くそう思っています。

  1. 2007/01/18(木) 23:45:23|
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あけましておめでとうございます

2007.01.01 Mon

あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます
            〜JesusMary〜

わが亡母の実家は、それはそれはしつけにウルサイ家庭だったそうで、母も厳しく育てられたようです。
正月について言えば、まず激しい感情はいけないのだそうです。
大笑い、号泣などはいうまでもなく、怒髪天をつく怒りもいけないらしいです。
静かに、おだやかに正月は過ごすべし、ということのようです。

子どもだった頃、二歳年長の姉と私が正月に姉妹ケンカをしたことがあります。
くんずほぐれつ、取っ組み合いのケンカをする私たちに、母は
「まったくもう、お正月なのに!」とこぼしていましたっけ。
それでは、前々回に前編を書いた朝日新聞記者松井やよりさんの記事の続きを書きたいと思います。


【痛快! 朝日新聞記者・松井やよりさんの生涯<中編>】

松井やよりさんは、1934年4月に京都で生まれ、生まれたあとすぐに東京へ引越しています。
ご両親とも牧師の家庭で愛情豊かに育ちましたが、社会情勢がこの幸せな家庭に暗雲をもたらします。

第二次世界大戦中、父・照次さんを除き一家は栃木県に疎開します。
疎開先での苦汁は、敵国の宗教を信心するものとしての迫害、スパイの疑いがかけられ玄関に「スパイ」と書かれたこと、また都会から来たものとしての白眼視などさまざまでした。
家に公安警察が来たこともあったそうです。
父・照次さんも、無事に帰ってきたとはいえ、戦争にとられた時の家族の不安は筆舌に尽くしがたいものだったでしょう。

そしてやがて終戦がおとずれます。
やよりさんは、奨学金を得て青山学院中等部、高等部へと進学しますが結核になり、4年間の及ぶ闘病を余儀なくされます。
その後大学に進学、米国やヨーロッパへの留学を経験します。
まだ女性の地位が低かった日本に比べ、アメリカで女性が生き生きとしていることを実感する一方、人種差別の現実を目の当たりにするのでした。

「アメリカ留学生活は、いわばアメリカン・デモクラシーの現実を見せつけられて失望したプロセスだった。
しかし、アメリカで私自身は実はとても励まされ、力を得たのだった。
一言でいえば、日本のように女性であることにひけ目を感じなくてすみ、のびのびとしていられた。」 
『愛と怒り 戦う勇気 』31ページより

帰国後、大学を卒業したやよりさんは朝日新聞社に記者として勤めることになります。
1961年4月のことでした。

入社直後、上司から「女に記者はつとまるのかね」と言われたそうです。
現代ならとんでもないセクハラ発言ですが、この時代は男は外、女は家でおさんどん、子育てだけやっていればよし、というありさまで女性は男性中心社会に隷属した存在だったのでした。
最初の10年間は、男性に負けない記者に徹したそうです。

その頃書かれた記事に「米〜ある農家の記録」があります。
秋田の農家に住み込み、密着ルポを書いたのでした。
農業の厳しさ、女性の過重労働、都市と農村の格差、後継者問題など
を率直に指摘したのです。
この記事は、記者としての評価を確実なものにし、現場に飛び込んで
そこに生きる人々を描くというスタイルを確立する橋頭堡となったのです。

水俣病の取材もあります。
戦後の日本が経済一辺倒となるなか、そのひずみがあちこちで悲鳴をあげはじめました。
胎児性水俣病を患った少女と寝食をともにし、その苦しみや喜びを
分かちあったのです。
そうして書かれた記事は、新聞の一面となりました。

「勝利判決が出たところで何一つ終わりはしない、当事者にとっては
生き抜いていく闘いの開始を示しているだけだ―――読者はこの冷酷な現実を知らされます。患者と家族の人間性とその暮らしに直に触れる記事でした」 『松井やより全仕事』18ページより

こうして男性に負けない記者、松井やよりさんに一大転機が訪れます。
アメリカでのウーマンリブの勃興です。


・・・続きはまた次回に書きます・・・


【JesusMaryの名曲アルバム】
今回から、音楽狂の私JesusMaryが記事の内容と関係があったり、なかったりする曲を毎回ご紹介してみようと思います。

記念すべき第一回目は
Echo & the Bunnymen (イギリス)の「Never Stop」
です。
「決して止まらない!」と叫ぶように歌うイアン・マッカロクのかっこよさをどうぞご堪能ください。




  1. 2007/01/01(月) 02:11:29|
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痛快! 朝日新聞記者・松井やよりさんの生涯 <前編>

2006.12.20 Wed

私が沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動の、渋谷にある事務所を訪れたのは10日ほど前です。
公園通りの雑踏の中、渋谷の駅から歩いていくと、左側に山手教会があります。

「ゴスペルコンサートを開催します。ぜひご覧ください。」

教会の前で若い男の人が、なんだか楽しそうに呼び込みをしていました。
その山手教会と同じ場所に草の根運動の活動拠点があります。
ゴスペルかぁ、聞きたいなと思いましたが道草をしている時間はありませんでした。

それよりさらにさかのぼること数週間前、私は市民社会フォーラムの東京例会に参加しました。
講師に沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動の平山基生運営委員長をお迎えし、基地問題の最前線について貴重なお話を伺いました。

熱っぽく基地問題を語る平山運営委員長のお話は、とても分りやすいものでした。
ともすれば暗くなりがちな平和運動です。
しかも「狂」の安倍政権の発足後であり、なおかつ沖縄県知事選挙で糸数慶子候補が惜しくも敗れた直後のことです。
共謀罪や教育基本法改悪など頭を抱えて青ざめる、そういう情勢です。
けれども平山運営委員長が例会の最後に仰った言葉は、
「こうして私たちが集まっている、そういうところに希望があるのです」
というものでした。

例会が終って帰る道すがら、たまたま平山運営委員長が私のそばにいらっしゃいました。
基地問題にうとい私は、ここぞとばかり運営委員長を質問攻めにしました。

「糸数さんが選挙で負けたのは、彼女が女性だったからではないかと勘ぐっているのですが?」
「そうですよ、そのとおりです。」
「となると沖縄では性差別って、こちらよりひどいのでしょうか?」
「そうですね、重要な場面ではまだまだ女性は一歩下がって、というふうです。」

私の、なぁんにも分っていません式の質問にも、運営委員長は丁寧に答えてくださいます。
なんだか「子ども電話相談」ふうです。
そして沖縄の平和を実現することが、いまだ茨の道にあると痛感させられます。

そして話は草の根運動のウェブサイトのことになりました。
なんでも、もっとより良いものに変えていきたいという運営委員長の意向とは裏腹に、更新するもの難儀しているとおっしゃるのです。
私は自分の腕前の未熟さも忘れて「お手伝いします」と言っていました。

こんなわけで、私は打ち合わせのため、冒頭で書いたとおり渋谷の事務局にお邪魔したのです。

その日、私は二冊の本を運営委員長からいただきました。
「私の姉が書いた本です。」

愛と怒り 闘う勇気 松井やより著 岩波書店刊
サブタイトルは「女性ジャーナリスト いのちの記録」
とあります。
いま一冊は「松井やより 全仕事」とあり、アクティブミュージアム女たちの戦争と資料館が発刊した大判の資料です。

平山運営委員長の実姉、松井やよりさんは朝日新聞の記者でした。
しかし、その活動は単なる一記者にとどまるものではありませんでした。

<次回へつづく>

おぉ、今回は長編だぁ〜 (どこが? カラマーゾフの兄弟じゃないっつうの)
ブログの記事を書いていたら、どんどこ長〜くなりまして、こりゃ1回じゃ終わらないわね、と考えた次第です。
というわけで、「次回も乞う期待!」とまるで昼ドラのようなことを言っているのです。

  1. 2006/12/20(水) 23:32:05|
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