『美しくない国へ』?!

2006.08.29 Tue



とにかくツッコミどころが満載で、どこから手をつけたらいいのやら、といった感の安部晋三氏であります。
そんな彼の人に、鋭くも的確なジャッジを下していらっしゃるgoo-needsさんの記事をご紹介します。
(こころよく転載&リンクを許可くださいましたgoo-needsさん、本当にありがとうございました!!!)
ひとりでも多くの方にご覧いただければと思います。

* * * * 転載開始 * * * * 

【 安倍政権が目指すのは「美しい国へ」などではない 】

文責: goo-needs

■ 安倍氏「国家安保会議」設置に言及

 22日、自民党の総裁選に出馬予定者らが、自民党のブロック大会で発言を行ないました。
 その中で、最有力候補とされる安倍晋三氏は、首相直属の「国家安全保障会議」(以下、『安保会議』)(米国のNSCの日本版)の設置について言及しました。
 安倍氏は、具体的な政権構想を小出しにしていますが、彼の意図するものとは、一体何でしょうか。


■ 崩される「文民統制」

 この「安保会議」設置は、「外交・安保分野での官邸主導の政策決定のため」だということです。
 では、外務省はどうなるのでしょうか。いや、それより「国権の最高機関」である国会はどうなるのでしょうか。
 気になるのは、その「安保会議」の構成員です。安倍氏によれば、首相・外相、防衛庁長官らのほか、「統合幕僚長」が加わるということです。
 ほとんどの閣僚を排除した、外交・安保分野での政策決定機関に、制服組を参加させようというのです。
それは「文民統制(シビリアン・コントロール)」の崩壊を意味します。
 国会を無視し、内閣をも形骸化させ、ごく少数の、しかも首相が恣意的に選ぶメンバーだけで外交・安保政策の政策決定を行なうという、まるで「軍事独裁政権」ではないでしょうか。


■ 国家レベルでの「日米軍事一体化」

 また安倍氏は、「安保会議」設置の理由に「外交・安全保障の基盤は日米同盟」「日米の政務レベルでの対話を、ホワイトハウスと官邸の間で行なえる仕組みが必要」と唱えました。
 米国のNSCがあり、それに対応できるように日本にも同様の機関をつくりたいというのです。
 彼の言う「政務レベル」とは、何でしょうか。
 先の「米軍再編協議」を思い出して頂きたいと思います。
 例えば、「陸」では、米陸軍第一軍団司令部をキャンプ座間に移転させ、陸上自衛隊に設置する中央即応集団の司令部を、同じキャンプ座間に同居させるということが盛り込まれました。
 これに象徴されるように、協議のメイン・テーマは、米軍と自衛隊の司令部機能の同居・共有と、それによる日米の指揮命令系統の一本化、すなわち「日米軍事一体化」「米軍による自衛隊併合」でした。

 これを、軍団・部隊レベルではなく、日米両政府の「国家レベル」にまで引き上げようとするのが、今回の「安保会議」構想ではないでしょうか。
 しかも、その地理的範囲は、米陸軍第一軍団司令部の管轄が北東アジア・東南アジアから中東にまで及ぶ、ということからも「全世界規模」だということは明らかです。
 「安保会議」は、アフガン・イラクどころか、米国が起こす戦争に日本が国家レベルで「とことんまでお付き合いする」ための機関だと言わざるを得ません。
 こうした自衛隊の海外派遣について、安倍氏は25日、講演で「恒久的な法律が必要」「恒久法を作ることで機動的な対応も可能」と述べ、米国に言われれば直ちに部隊を派遣できる態勢づくりを急ぐ考えを示しています。

■ 米国のための「新憲法制定」

 このような「集団的自衛権行使」は、憲法で禁じられています。
 安倍氏は、これについて安倍氏は「新たな憲法の制定を政治スケジュールにのせるためのリーダーシップを発揮する」と語りました。
 注目すべきは、現行憲法に則った「憲法改正」ではなく、「新憲法制定」だという理屈です。これは現行の憲法そのものを破棄する行為です。
 
 憲法には、天皇・摂政以下、国務大臣や国会議員、裁判官、その他の公務員に至るまで、「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定められています。
 「改正」ではなく、「破棄」「新憲法制定」だというのであれば、それは「クーデター」に他なりません。
 憲法は、国民の立場から、国家権力を縛るためにあります。だからこそ、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」と規定しているのです。
 戦争は「政府が起こすもの」です。そして、その「惨禍」は国民が被るというのは、全ての歴史が語るところです。そのようなことが、再び起こることがないないように、と定めたのが、現在の憲法です。

 安倍氏の「安保会議」設置と、それを許容する「新憲法制定」の方針は、そうした60年前の国民や、現在の私たち国民の決意を踏みにじり、米国の戦争に加担するためのものに他なりません。


■ 米国に差し出される「子どもたちの命」

 そのような事態に、私たち国民はどうなっていくのでしょうか。
 安倍氏は「教育改革の推進」を掲げました。その中心に置かれるのは「国を愛する教育」「公意識の育成」です。
 教育基本法改定に熱心な安倍氏が目ざすのは、「子どもたちのための、子どもたち一人一人が尊重される教育」ではなく、「国家のための、子どもたち一人一人が自ら命を投げ出すための教育」です。
 彼が、子どもたちに植え付けたいのは「子どもたち一人一人」よりも「公」や「国」です。
 学校の先生が「お前たち一人一人の命より大事なのは、日本という国だ。」「国のために命を投げ出す、立派な日本人になれ。」と、皆様のお子さん・お孫さんに叩き込み始めたら、皆様はどう思われる
でしょうか
 そして、その「国」が、日本ではなく、米国の戦争に「尖兵」として差し出されているとしたら…。


■ 「大本営発表」

 その点、安倍氏は周到なようです。子どもたちだけでなく、親たちを「騙す」方策も考えています。

 安倍氏の22日の発言によれば、広報・メディア戦略のための「内閣広報官」の設置も検討しています。 
 そう言えば、自民党の「新憲法草案」に「新しい権利」が盛り込むというのが唯一の「目玉」ですが、そこに「知る権利」はあっても「報道の自由」はありません。
 放送法という法律では、「放送番組は…何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定められ、放送事業者は番組の編集にあたって「政治的に公平であること」(第3条の2)が義
務づけられていますが、自民党は2年前からこの条項を改定・削除しようと検討してきました。
 これは翌年の「NHK番組改変問題」で下火になりましたが、その事件で取り沙汰されたのは、安倍氏本人です。
 放送事業は、5年ごとに更新する「免許制」です。この「免許」に関しては総務省、すなわち政府が権限を握っています。
 もし放送法から前述の規定が消えれば、「番組改変」どころか、政府に「免許」を剥奪され、放送そのものができなくなってしまう事態をも招きかねません。

 こうしたことを考えれば、安倍氏の「内閣広報官」設置の真意は、政府による「報道管制」にあるのではないでしょうか。
 政府にとって都合の悪いことは一切明らかにせず、都合の良いことだけを並べ立て、政府を「美化」「粉飾」するための機関です。
 安倍氏の唱える「内閣広報官」について、つい「大本営発表」を思い出してしまうのは、私だけではないと思います。
 構成や機能を考えれば、「安部内閣」や「安保会議」自体が、「大本営」ではないのか、と思えてなりません。
 
■ 「…国へ」

 先日、私は書店に行きました。
 その書店では、ベストセラーのコーナーに、「美しい国へ」という安倍氏が書いた(とされる)本が、上位に置いてありました。
 これまで書いてきたことを総合してみると、「安倍政権」で作られていく日本が「美しい国へ」向かうとは、とても思えません。
 国民に対する姿勢を見れば「恐ろしい国へ」、米国に対する姿勢を見れば「情けない国へ」という表現が当てはまるように思います。
 そして、将来の国民は、再び「恥ずかしい国へ」加速していったときだったと、この時代を振り返るのかもしれません。
 この、「恐ろしく、情けなく、恥ずかしい国」づくりのために、安倍氏は9月1日、正式に総裁選への出馬を表明するとしています。その舞台となるのが、広島だということです。

 その広島では今月6日、秋葉忠利市長が「平和宣言」で、こう語りました。
「日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、…『世界に誇るべき平和憲法を遵守』し、…人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。」
 
 この広島の「平和な国へ」「平和な世界へ」という、切実な願いについて理解を求めることは、安倍氏にとって、それほど「酷なこと」なのでしょうか。

 そう言えば、小泉政権発足当初、「日本の核武装」を正当化する発言が相次ぎました。その一人が、当時の安倍晋三官房副長官によるものであったことも思い出されます


* * * * 転載終了 * * * *


いかがでしたでしょうか。
goo-needsさんのブログは↓こちらです。
http://blog.goo.ne.jp/goo-needs/
この他にもたくさんの記事がアップされています。

今一番首相になって欲しくないダントツNo.1、それが安部氏であります。
官房副長官時代の2002年5月に「憲法上は原爆だって問題ではない」との発言すらあるのです。
首相どころか、一政治家としての資格すらないと私は思います。

日本国民の命を犠牲に、戦争へまっしぐらという戦後保守政治の目指してきた道が、いままさに私達へ牙を向けているのです。

こんな首相はイヤだぁぁぁ〜〜〜

【記事中のパンダの画像はhttp://www.h6.dion.ne.jp/~panda_w/top.html
Panda Worldより素材をお借りしました。この場でお礼申し上げます。】

  1. 2006/08/29(火) 00:52:09|
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8月はまだ終わらない。

2006.08.23 Wed

2週間ほど前になりますが、「戦災資料展」なる催し物に行ってきました。
空襲で焼けた鉄かぶと
米軍伝単・拾円札
戦時報国債券
疎開中の手紙
空襲で焼けた万年筆
などの実物がガラスのケースに入って展示されていました。
また、空襲による被災現場や、爆撃直後の生々しい様子を写した写真パネルがありました。

鉄かぶとはふたつ展示されていました。
このうちひとつには、中に手帳のようなものやペンなどが入っており、傍らのプレートに「空襲で亡くなった女性がこれを抱えていた」と書いてありました。

もうひとつの鉄かぶとには弾痕がいくつかあり、「弾は貫通した」のだそうです。

本物の赤紙をこの展示で初めて見ました。

ひじょうに気の重くなる展示ですが、やはり時折こういったものに触れて、反戦の気持ちを鼓舞する大切さを改めて感じました。
残されたモノは雄弁に語ってくれます。

「天皇発言メモ」について、長周新聞に継続して記事が載っていました。
それらの記事はウェブサイトに掲載されていないので、残念ながらここでご紹介できないのですが、こちら↓でその一部をご覧頂くことができます。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/rondann%20gunnbunisennsousekininnkabusetaseiryokugaimasensousikumu.htm
「アジアへの侵略、戦争から戦争へと駆り立て、無惨な敗戦に導いていった最大の勢力は天皇を頭とする三井、三菱など独占資本集団であった。」

「天皇が平和主義者というのは日本を占領したアメリカが平和主義だというのと結びついたもので、戦後人人の頭を洗脳してきた欺まんである。」

「日本の敗戦と戦後処理にあたっては、軍部に戦争責任があるのは明らかだが、すべての責任を軍部に押しつけて、天皇をはじめ政財官界から新聞からみな、責任逃れをして支配の地位を温存してきた。」

紙上では終戦が間近になるにつれ、また終戦が決定的なものとなるにつれて、昭和天皇がいかに日本国民によるクーデターを恐れていたかについて書いてあります。
また革命を恐れる天皇、日本への封じ込め政策を推進したい米国の思惑、そして天皇と結託していた三井、三菱などの財閥との利害が一致したことから、戦後早期より天皇への戦争責任があいまいになされてきたことなどが書いてありました。



「あたらしい憲法のはなし」でも天皇の責任については何も触れていません。
むしろ国民と一緒になって苦しんだというような書き方です。
これが昔から不思議でなりませんでした。
マッカーサーと天皇との会談の詳細などが明るみになれば、もっと事実がはっきりすると私は思います。
そうしたうえで、より明確に天皇の戦争責任を追求することが可能になるのでは、と考えています。

鉄かぶとを抱えて亡くなった女性の夫、あるいは父親、あるいは兄弟が、もしかしたら「天皇陛下万歳」と叫んで南の島で死んでいったかもしれないと、想像が脳裏をよぎるのです。







  1. 2006/08/23(水) 23:59:29|
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あやしの黒電話

2006.08.09 Wed

子どものころ、家にあった電話機は黒電話でした。
ダイヤルをジーコロジーコロと回す、かの黒電話です。
友達の家に行くと、ほとんどがプッシュ式の電話だったのですが、私の家では、「壊れていないものを捨てるなんてとんでもない!」という思想を母が確固たるものにしており、ゆるがせにはできないのでした。
クリーム色やグリーンのプッシュ式のほうが、ずっとカッコイイように思ったりしました。

その頃、つまり8歳の時なのですが、私には大いなる疑問がありました。
「電話の電の字は電気の電である。
しかるに電話機は電気で動いているに違いない。
でもなぜプラグがないの?」

炊飯器、冷蔵庫、洗濯機、掃除機。
どれも電気を動力源にしており、それを証明するかの如くプラグがあり、その先はコンセントに接続されています。
なのに電話にはないのです。
わずかにアヤシイ、と思えるのは電話線でしたが、そのケーブルは音声の行き交いにのみ使われていると、私は思い込んでいました。

そんなある日のことです。
父も母も姉もみんな出払い、家にいるのは私のみということがあったのです。
私は、はじめのうちはお人形の家作りに情熱を傾けていました。
ハギレや色紙、厚紙を駆使して大切なお人形に豪邸を建てんと腐心していました。
そのとき、ふと例の疑問が頭をもたげたのです。
そこで父の道具箱を取りだしました。
8歳の女の子には少々重過ぎるその箱を、よっこらしょう、と抱えて部屋まで運びました。
そしてプラスのドライバーを取りだしました。
電話機は、受話器を本体にガムテープで軽くとめました。
そうしないと、電話機をひっくり返した時に受話器がはずれてしまいます。
受話器がはずれたままになっていると、電話機はとてつもない大きな音をたてるのをそのとき既に知っていました。
おもむろに電話機の底面を、ドライバーで開けてみました。
思ったより随分簡単に、底面ははずれました。

中から出てきたのは、8センチ四方くらいのサイズの板でした。
その板には小さな金属片が、たくさんはめ込まれていました。そしてその板には細いケーブルがついており、さらにベルが取り付けられていました。
ベルはちょうと自転車についているベルとそっくりでしたが、大きさは電話機のサイズから考えて、不釣合いなほど大きいものでした。

「ふぅん、こうなっているのか。」
と思いはしましたが、だからといって、たくさんはめ込んであった細かい金属片や、細いケーブルが実際のところどのような働きをしているのかはまるで謎のままでした。
いわんや、電話機を開けてみただけでは、動力源の謎に迫ることは出来なかったのでした。

それから十数年後、私はとあるSEと雑談をしていました。
話しのはずみで、黒電話のことになりました。
そこで私は、幼少時の疑問を投げかけてみました。
するとSE氏はこともなげに言いました。
「あれはね、電話線が電源になってたの。
電話線ってね、電力供給できるんだよ。
もっともごく少量なんだけど、黒電話の消費電力なんて少ないからそれで充分まかなえたわけ。
でも今の電話ってさ、いろんな機能がついていてとてもじゃないけど電話線からの供給だけじゃ無理になってるんだよね。」

そうだったのか。。。
目からウロコが落ちた瞬間でした。

昨日↓このサイトを見て、ふと電話機分解の過去を思い出しました。
http://www.keyman.or.jp/cgi-bin/navi/30001816/A4F4DC/00000100/00000100/UNUeNv73H/

  1. 2006/08/09(水) 22:44:29|
  2. 雑記|
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奪われゆく自由。

2006.08.09 Wed

今、exod-USさん(いつもTBありがとうございます!!!)が送ってくださったトラックバックの記事を読んで、唖然としてしまいました。
http://exodus.exblog.jp/3952978

ぜひ多くの方にご覧頂きたいと思いますが、記事の元になったasahi.comのURLはリンクが切れたり、切れなかったりしているそうなので、コピペを以下に載せます。

* * * * *

国選弁護に制限、「預貯金50万円以上なら私選を」
2006年07月28日03時00分

 資力の乏しい容疑者に国が弁護人をつける「国選弁護」制度で、法務省は「資力」の基準額を50万円にする方針を固めた。現金や預貯金の合計が50万円以上になる場合、国選ではなく、まずは私選弁護人を弁護士会に選任してもらうよう申し出ることが本人に義務づけられる。関係者からは「基準額が低く、制度からこぼれ落ちる人が多くなる」と懸念する声もあがっている。

 容疑者国選弁護制度は、10月2日から施行される。殺人や強盗など重い罪にあたる事件の容疑者が対象で、3年後には窃盗、詐欺などにも拡大される。

 これまで国選弁護人がつくのは、起訴後の被告だけだった。本人が「貧困その他」にあたると申告すれば、保有資産などを問われずに、ほぼそのまま国選弁護を受けられた。「資産のあるものは私選弁護人を依頼すべきだ」との意見があったため、04年の刑事訴訟法改正で容疑者国選弁護制度が導入された際、資力を申告する制度も盛り込まれた。50万円の新基準は今後、容疑者、被告ともに適用される。

 新制度では、国選弁護を求める容疑者は、留置場や拘置所などで「資力申告書」に自分の資産を記載。申告書を受け取った裁判所は、日本司法支援センターに国選弁護人の指名を求め、選任する。資産が50万円を超えた場合は私選弁護人と契約交渉するが、それができないと、改めて国選弁護人の選任手続きに入る。

 資産の範囲について法務省は、手持ちの現金や預金のほか小切手、郵便貯金などに限り、不動産や貴金属などは含めない意向。虚偽申告すれば10万円以下の過料になる。

 基準額50万円の設定について、法務省は(1)平均世帯の1カ月の必要生計費は約25万円(2)刑事事件を受任した私選弁護人の平均着手金は約25万円――としたうえで、「50万円以上あれば、私選弁護人に着手金を払ったうえでひとまず生活できる」と説明している。

 04年に全国の地裁で刑事裁判が終わった被告のうち国選弁護人がついたのは約6万1000人。全体の約75%だった。これらの人がどれだけの資産を持っていたのか、法務省や日本司法支援センターには資料がなく、「50万円」の新基準が国選弁護の対象者の増減に、どう影響するのかは分からないという。

 国選弁護に詳しい関係者は「現行制度で国選弁護の対象になった人が新制度では救われない例も出るのではないか。格差社会が進み、なけなしの預貯金をはたいてしまえば後の生活にも困る。扉は広く開けるべきだ」と語る。

* * * * *

あぁ、もう、人権さえもお金ですか。
戦後の保守政治がじわじわと進めてきた新自由主義が、もろに弱者に牙をむいているのですね。
あきれはてます。
こんな制度を作った人の心の貧しさが露骨に表れているといえるでしょう。

昨年1月に共謀罪反対のシンポジウムに参加したのですが、そのとき東北大学名誉教授の小田中總樹先生が、これからは新自由主義による格差社会がどんどん広がっていきます、というようなお話をなさっておられました。
学校や病院などの施設も、ごく一握りの富裕層向けとその他大勢の貧困層向けに分けられて、その結果、富裕層向けは立派な施設を享受でき、そうでない方は教育も医療も切り捨てられてゆく、ということを話しておられたのです。

この国選弁護の件も、同じことなのでしょう。
もう、あきれはてました。

  1. 2006/08/09(水) 02:26:49|
  2. 格差社会|
  3. トラックバック:6|
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ノー モア ナガサキ!!!

2006.08.09 Wed

ノー モア ナガサキ

ノー モア ウォー

NO MORE NAGASAKI

NO MORE WAR


61年も経ったというのに、まだ反戦を訴えなければならないとは、人類とはなんと情けない生き物だろうかと思います。
私たちは、歴史から何も学んでこなかったのだろうかとさえ、思えてくるのです。

おととい、ずっと奥村和一・酒井誠共著「私は『蟻の兵隊』だった」岩波ジュニア新書・岩波書店刊を読んでいました。
1945年の敗戦後も、中国に残って戦争を続けた日本兵がいました。
奥村和一さんは、その日本兵のひとりだったのです。

奥村さんの言葉は強く印象に残ります。
「学校や軍隊で受けた教育が、どんなにすごいものか気づかせてくれました。
それがまだ頭のなかに巣くっていて、ある局面になると表に出てくる。ふだん自分はそういう考えをもっていないように見えても、頭のなかはまだ毒されているということに気がついたのです。」

「いま、戦争を知らない人、戦争を教わらなかった人たちが日本の指導者になっているでしょう。
だから戦争というものにたいしてはっきり向き合う日本というものをつくらないと、このまま戦争にたいする反省もなくて、あるいはそれが正しい行為であったという形で引き継がれたら、日本は道を誤っていくと思うのです。」

昔の話ではなく、現代でも同じようなことがあります。
アフリカ・ウガンダでの子ども兵士のことです。
ウガンダでは子どもを兵隊に仕立て上げるために、つまり人を殺せる人間にするために、わざと目の前で人を殺してみせるのだそうです。
そして10歳にもならない幼少者に、銃を持たせているのです。
恐ろしい洗脳というほかありません。
ワンピースを着た女の子がふたり、手にライフルのような銃を持っている写真を見たことがあります。
いったいこの子たちの将来はどうなってしまうのだろうか、と暗澹たる気持ちになります。

そして、これはよその国だけではないのです。
日本も例外ではありません。
次の国会では、また教育基本法の改悪が取りざたされるでしょう。
偽物の愛国心を植え付け、国のために死ねる人間をまたしても作り出そうとするでしょう。

61年前となんら変わらない、力づくで他者をねじ伏せようとする日本の醜い姿が浮かび上がります。

そんなことをしている場合ではないのです。

必要なのは、先の奥村さんの言葉のとおり、戦争という誤りに真摯に向き合う姿勢です。
それが教育に反映されていなくてはならないと思います。
平和への教育こそが必要です。
大人が戦争を正しく認識すれば、子どももまた正しい認識を得られるはずなのです。
子どもは大人社会を映し出す鏡です。

そして、そのような教育が現代において出来なければ、いったい長崎で被爆の苦しみのうちに亡くなっていった人々、あるいは今もなお苦しんでいる方々にたいして、あまりにも申し訳ないと思うのです。
過去の惨禍を切り捨て、また戦争への道を歩こうとするなど、彼らへの裏切り以外のなにものでもありません。
決して許せない暴力です。

多くの人と、「ノー モア ナガサキ」「ノー モア ウォー」の意味するところを一緒に考えていきたいと思います。

  1. 2006/08/09(水) 01:07:28|
  2. 反戦|
  3. トラックバック:13|
  4. コメント:2
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