ハル・ノート
2006.07.09 Sun

私、先日空手の試合に出ました。
それでボコボコにやられちゃいましたよ。
しかもそんなことやってる間に、テポドンだのなんだのが発射されてしまい、おぉ、日本もボコボコだねぇ。
そんなさなか、幾多の斑紋を広げた共謀罪だのなんだのをそっくり捨て置いて、わが国の首相はプレスリー資料館でノンキ面下げてますね。どこまで腐ってんだか。
試合で負けた腹いせに、こやつの顔でもぶん殴りたい心境です(^^;
ところで先週の金曜、6月30日に【シンポジウム 改めて共謀罪を問う】に参加しました。
基調講演は関東学院大学教授の足立昌勝先生。
シンポジウムでの発言は富山大学教授小倉利丸先生、弁護士の海渡雄一先生、アムネスティの寺中誠さん、自由人権協会の旗手明さんそしてピースボートの櫛渕万里さんに足立先生を加えてのお話でした。
次回の国会で、成立をはかろうとする動きが再度起きるはずです。
それをふまえて、足立先生の基調講演はこれまでの経緯を振り返ったものとなりました。
もっとも印象に残ったのは海渡先生のお話で、共謀罪を新設しなくても国連条約を批准することは可能である、というものでした。
条約批准は避けられないのものであるため、いかにそれを悪用した立法がなされないよう求めることが大切か、という観点に立った海渡先生と、市民運動としての立場に立脚して、条約批准自体認めるわけにはいかないとする小倉先生のお話も大変興味深いものでした。
私は、前提として条約批准に反対の立場をとりつつ、さらに現状を踏まえた運動、たとえば共謀罪や新教育基本法に反対し、ひいては改憲を押しとどめることが必要なのではないかと思っております。
それにしてもねぇ。。。
この条約批准の英文の解釈をめぐって、あ〜だこ〜だとなっていたわけでしょ。
あの原文、私も読みましたが、どこにも「必ず共謀罪あるいは参加罪を作りなさい!」とは何処にも書いてなかったよ?
与党のみなさん、わざと読み間違えたりしてませんよね???
これで思い出したのが、「ハル・ノート」です。
第二次世界大戦の前に、アメリカが日本にOutline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japanという文書を提出しています。
別名「ハル・ノート」と呼ばれています。
日本に対し、中国からの撤兵や日米の海外租界と関連権益の放棄などを強く求めた内容ですが、米国としては始めに強く求めておいて、交渉しつつ譲歩していくことを考えていたようです。
それを日本側は最後通牒だと勘違いしたらしいです。
ハル・ノートを書いたのはコーデル・ハル国務長官(写真)となっていますが、実際書いたのはハリー・ホワイト財務次官補だったといわれています。
勘違いした日本は、えぇ〜い、こんなもん受け付けられるかぁ〜みたいな勢いで、だったら戦争じゃ〜!となったわけです。
他にも戦争になった原因はたくさんあるはずですが、このハル・ノートはその原因のひとつなのでしょう。
相手の交渉の仕方を知らないばっかりに、取り返しの付かないことになってしまったものです。
一昨年前、私は上海に行きました。
帰ってきてすぐに書いた文章がいまでもとってあるので載せてみます。
つたない覚書、しかもちょっと長いですが、そのまま載せちゃいます。
* * * * * *
【上海 2004年11月】
車のクラクションがけたたましいところであった。
日本人的な感覚でいえば、「うるさい」「マナーを守ればそんなに鳴らす必要がない」ゆえに、上海は交通ルールがなっていない、ということになるだろう。
同行のIさんは、はっきりと「交通マナーがなってないわね〜」と言っていたし、確かに単純に日本の交通事を思えば、このけたたましさは比ではない。
しかし、もしかしてそうではないのではないか、と思う。
彼らは、日本人より互いのコミュニケーションを密にとる人種なのではないか?
ああやってクラクションを鳴らすことで、車の中の人間同士がコミュニケーションをとっているのではないか?
おしなべて、アジアの国ではクラクションが多いと聞く。
これはもしかすると、上記のようなコミュニケーション手段としてのクラクションではあるまいか。
歩道に4、5人集まって何事か話している光景をよく見たが、これまた大声なのだ。
この大声による談話も、彼らにしてみれば自らの意志を相手によりよく伝えんがための現象なのかもしれない。
騒音に無頓着なのではなく、ただ単純に人間同士のやりとりをもっとも重要視するがために、車中で唯一の、あるいは簡単に出来るコミュニケーション手段としてのクラクションのように思った。
香港でもこれを確かめよう。
もし、私の判断が正しければ、アジア・クラクション騒音の日本人的解釈が、彼らに対する傲慢かもしれないのだ。
そして、そのような解釈の誤りが、たんに旅行者の誤りで済めばどうということもないが、仮にもし、政治のような重要な場面で起きたら一大事だろう。
相手国の考えが理解できなかったために戦争になりました、ではお話にならないと思うのだ。
* * * * *

