8月はまだ終わらない。
2006.08.23 Wed
2週間ほど前になりますが、「戦災資料展」なる催し物に行ってきました。
空襲で焼けた鉄かぶと
米軍伝単・拾円札
戦時報国債券
疎開中の手紙
空襲で焼けた万年筆
などの実物がガラスのケースに入って展示されていました。
また、空襲による被災現場や、爆撃直後の生々しい様子を写した写真パネルがありました。
鉄かぶとはふたつ展示されていました。
このうちひとつには、中に手帳のようなものやペンなどが入っており、傍らのプレートに「空襲で亡くなった女性がこれを抱えていた」と書いてありました。
もうひとつの鉄かぶとには弾痕がいくつかあり、「弾は貫通した」のだそうです。
本物の赤紙をこの展示で初めて見ました。
ひじょうに気の重くなる展示ですが、やはり時折こういったものに触れて、反戦の気持ちを鼓舞する大切さを改めて感じました。
残されたモノは雄弁に語ってくれます。
「天皇発言メモ」について、長周新聞に継続して記事が載っていました。
それらの記事はウェブサイトに掲載されていないので、残念ながらここでご紹介できないのですが、こちら↓でその一部をご覧頂くことができます。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/rondann%20gunnbunisennsousekininnkabusetaseiryokugaimasensousikumu.htm
「アジアへの侵略、戦争から戦争へと駆り立て、無惨な敗戦に導いていった最大の勢力は天皇を頭とする三井、三菱など独占資本集団であった。」
「天皇が平和主義者というのは日本を占領したアメリカが平和主義だというのと結びついたもので、戦後人人の頭を洗脳してきた欺まんである。」
「日本の敗戦と戦後処理にあたっては、軍部に戦争責任があるのは明らかだが、すべての責任を軍部に押しつけて、天皇をはじめ政財官界から新聞からみな、責任逃れをして支配の地位を温存してきた。」
紙上では終戦が間近になるにつれ、また終戦が決定的なものとなるにつれて、昭和天皇がいかに日本国民によるクーデターを恐れていたかについて書いてあります。
また革命を恐れる天皇、日本への封じ込め政策を推進したい米国の思惑、そして天皇と結託していた三井、三菱などの財閥との利害が一致したことから、戦後早期より天皇への戦争責任があいまいになされてきたことなどが書いてありました。

「あたらしい憲法のはなし」でも天皇の責任については何も触れていません。
むしろ国民と一緒になって苦しんだというような書き方です。
これが昔から不思議でなりませんでした。
マッカーサーと天皇との会談の詳細などが明るみになれば、もっと事実がはっきりすると私は思います。
そうしたうえで、より明確に天皇の戦争責任を追求することが可能になるのでは、と考えています。
鉄かぶとを抱えて亡くなった女性の夫、あるいは父親、あるいは兄弟が、もしかしたら「天皇陛下万歳」と叫んで南の島で死んでいったかもしれないと、想像が脳裏をよぎるのです。

